中台囃子連中とは 中台囃子連中とは 上覧の栄光から県指定文化財王蔵流を伝える中台囃子連

中台の囃子は、「王蔵流」で、葛西囃子を源流として独自の工夫を加えた川越地方を代表する特色のあるものである。かつて城主上覧の栄光から上覧囃子といわれ、昭和34年(1959)に、埼玉県無形民俗文化財に指定されている。

中台の囃子連が「羅陵王の山車」で乗演するようになったのは、旧藩時代に中台が志義町(仲町)の入会いの、地で多面的な交流があったからだという。 文久2年(1862)に現在の山車が完成し、江戸から新河岸川舟運で新河岸に到着したときには、中台囃子連の一同が担いで運んだと伝えている。

中台の囃子連も古くは、里神楽としての記録をもつ。やがて文政の頃になると江戸郊外の高井戸にいて、神田祭で7台の山車の笛方をつとめた「笛角」なる人を師匠として迎えて江戸風の囃子を習った。

明治初期には、「王蔵流」として完成したという。  それまでの古囃子に比べてテンポが速く、笛・太鼓・鉦・舞のあらゆる伎芸は細やかさを増すことになった。切れ味は鋭く、しかも重苦しい感じのない軽妙なところが特徴で、今なお当時の芸の数々を伝承している。

5人編成の囃子をリードする主楽器は笛である。太鼓はオオカンと呼ぶ大太鼓が1つ、真と流に分けた締太鼓が2つに、鉦が1つ。舞踊に用いる面は、地元の人の手による手作りが多い。

曲目には、力強くテンポの良い「ハヤ」と言われる「屋台」をはじめ、「静かもの」と呼ぶ「鎌倉」、「鎌倉攻め」、「宮聖殿」、「いんば」、「子守歌」、「数え歌」、「四丁目」、などがある。舞には、「天狐(きつね)」、「天太(おかめ)」、「獅子」、「もどき」、「狸」などが伝承されている。

舞の解説
天狐

この舞は志義町(今の仲町)の山車の人形の信長(羅陵王の面)の気質とぴったりと合致した舞であって正しき事はどこまで通すという強い意志と迫力を現したものであります。 ご神体に用いるへいそく(狐が踊るときに使う道具)を打ち振りつつ笛のリズム、太鼓の調子と合わせて踊る様は信長の意志そのものではないでしょうか。志義町の山車がひっかわせにこの舞を用いるのも上記の様な理由によるものである。


狸

狸は、豊年の象徴であり、実る稲穂を眺めてすべてを忘れ踊る土の人、山の狸も共に浮かれて踊る月の夜、黒い山の影、白い月光を浴びて踊る狸、正に豊年の喜びのしるしではあるまいか。


天太(おかめ)

この舞は限りない母親の愛情と女性の優しさを表現されたものである。すんだ笛のリズムと共に踊る様はいかなる時でも深い深い愛情と優しさを失わない女性の表現ではあるまいか。特に子守唄は吾が子の為にすべてを捨ててただ健やかに育てようと思う母親の深い愛情が踊りの上に実感としてひしひしと迫るおもいがある。ああ幼き頃の聞こえた子守唄なつかし。


獅子

この舞は一言で言えば悪魔胎児の図である。獅子の面に見る通り、何者も噛み伏せ退散でせずんば、止まない強い意志の表れた舞である。力強い獅子の調子と共に踊る様はいかなる悪魔も退散せざるを得ないだろう。


もどき(ひょっとこ)

もどきの舞は様々の面で踊るけれども、主に「かなつぼの面」の踊りである。真っ黒に日焼けした面にすべてを忘れ豊年を祝う踊りにしたものである。静かなすんだ笛のリズムと共に舞いの踊りに疲れた獅子はうたたねの中に獅子の精はもどきに変り、獅子の中から抜け出るので「ぬけ」という。抜け出た時の様は 何とも云えない妙なものを感じられる。その中笛のリズムの変わりと共に漸く目覚めてくる。この頃囃子は鎌倉攻めといって鎌倉を攻めた鉦太鼓の調子を囃子に取り入れたものでその攻めがだんだんと急調子になるにつれ舞もすっかり目がさめる。目がさめると囃子は、一転四丁目となる。四丁目の踊りは、凧揚げと玉突きがある。先ず凧を上げる時は獅子の調子に合わせて凧を上げる様は、正に芸能的極致の表現至芸天下一品といっても過言ではあるまい。


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